■第41回プロレス文化研究会のお知らせ

日時:2012年2月18日(土)午後2時〜5時
場所:ル・クラブ・ジャズ
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ktsin/
入場無料:(カンパ歓迎。)

★会場内への飲食物の持ち込みは禁止です。お守りください。

★ル・クラブジャズに研究会の内容についてのお問い合わせはご遠慮ください。



テーマ:彼女はなぜ女子プロレスを見捨てなかったのか
     ―― ファンのライフ・ヒストリー研究


1.講演 伊藤雅奈子氏(フリーライター)
  「クラッシュ・ギャルズからの半生」

2.ビデオ上映 作品未定(女子プロレス関連) 

3.ミニ対談 伊藤雅奈子氏、岡村正史
  「エスエル出版会の頃」 
 

 昨秋、『1985年のクラッシュ・ギャルズ』という本が文藝春秋より出版されました。著者はスポーツ・ライターの柳澤健氏。80年代半ば女子プロレスの世界に一時代を築いたクラッシュ・ギャルズこと長与千種とライオネス飛鳥。彼女たちを熱狂的に支えたのが10代の少女たちでした。この本は二人の生い立ち、活躍、苦悩、現状を描いているのはもちろん、ふたりを見守ってきた少女の眼差しを導入することで物語に厚みを加えています。そして、その眼差しこそ今回の講師伊藤雅奈子さんの視点にほかなりません。

 伊藤さんは不良少女だった中学生時代にクラッシュ・ギャルズの試合を見ることで立ち直り、ライオネス飛鳥親衛隊長へと転向します。短大卒業後は一般企業に勤めたものの、わずか三か月で退職し、西宮のエスエル出版会(のちの鹿砦社)に入社します。なぜならこの出版社は『プロレス・ファン』という雑誌を出していたからです。伊藤さんはファン活動を続けるうちにプロレス記者になりたいという夢を捨てきれなくなったのです。その後、一度は退職するのですが、復帰して『プロレス・ファン』の編集長になります。(岡村はこの時期同誌の寄稿者であり、伊藤さんと知り合いました。松竹芸能の某芸人カップルもまじえて飲んだことなど懐かしい思い出です。)母親の反対を押し切って上京してからは女子プロレス中心のライターとして活躍しました。最近では、発表媒体の相次ぐ廃刊をきっかけに女子プロとはやや距離を置き、お笑いの取材を中心に活動しています。

 四半世紀にわたって女子プロレスと関わってきた女性の生き方、在り方とはいかなるものなのか。追っかけからライターへと転進していったエネルギーの淵源はどこにあるのか。プロレスを見る側のライフ・ヒストリーに迫る企画はこの研究会では初めての試みです。

 もちろん、プロレス記者が見た女子プロレスラーの実態も語られることでしょう。

 できれば、『1985年のクラッシュ・ギャルズ』を読んだ上で、ふるって、ご参加下さい。(世話人 井上章一、岡村正史)

 ■第41回プロレス文化研究会報告

■日時 2012年2月18日(土)ル・クラブジャズ

■テーマ
 彼女はなぜ女子プロレスを見捨てなかったのか
 ―― ファンのライフ・ヒストリー研究


1.講演 伊藤雅奈子氏(フリーライター)
  「クラッシュ・ギャルズからの半生」


●柳澤健氏『1985年のクラッシュ・ギャルズ』の出版経緯

柳澤さんが「オール読物」の企画でクラッシュに10回程度取材して100枚の原稿にして発表したところ、好評だったので単行本にしようということになった。柳澤さんは対抗戦ブームの頃から女子プロレスに目覚めた人で、リアルタイムでクラッシュを見ていないのでレクチャーしてくれ、ということになり、2010年の9月に5時間の取材を受けた。ダンボール一箱の資料を提供したりしたが、この時点では証言者のひとりとして登場するつもりでいた。が、その後主人公のひとりにさせてくれと依頼された。この本は実はクラッシュの二人が事前のゲラチェックをせずに、発売されている。2011年5月に本は完成したが、その後証言者としてダンプ松本が抜けているという指摘があり、追加取材を行って、その一部がこの本に反映された。


●長与千種はリングサイドのどこに自分のファンがいるかすべてわかった上で戦っていた。ダンプに痛めつけられて苦しんでいる表情を四方のファンすべてに見せたいと思っていた。ダンプもそのことは理解していた。長与千種を痛めつければ盛り上がるからである。必然的に長与千種の出番が長くなる。あるときなど、コーナーに控えている飛鳥の出番があまりにもないために、飛鳥がコーナーで泣いていることにダンプは気がつき、気持ちが引いたという。新人時代にダンプと飛鳥は同じアパートに住んでいて、気心が知れていたから、よけいに切ないものがあったのである。


●ビデオで放映した87年のクラッシュ対決の頃飛鳥は最悪の状態だった。元アイドルのロックシンガーの尖った生き方に傾倒して、彼女に完全にマインドコントロールされている状態で、「あなたのイメージカラーは黒よ」といわれて、水着はもちろん黒に替え、黒いサングラスをして常にウォークマンを聴いていてファンとも全女の選手、関係者とも口をきかない状態だった。この時期の飛鳥は顔色が悪く無表情で、88年の春までこの状態は続いた。その間、全女は千種をソロで売り出す決定を行い、既成の親衛隊をすべてつぶして、「CHIGUSA’S CLUB」に一本化しようとした。


●クラッシュは89年5月の千種引退で解散となり、8月に飛鳥も引退した。90年代に両者は復帰するが、97年に上京した私は千種が興したGAEA JAPANの番記者となり、GAORAでテレビの解説も2年間務めた。2005年、GAEA・JAPANが解散した1週間後に全女も解散に追い込まれた。その後2年間プロレス記者を続けたが、全女の解散、そしてジミー加山の自殺、松永高司の死去、によって女子プロレスは終わったと思う。柳澤さんも同感だ。全女こそ女子プロレスだった。全女の事務所に電話すると、松永兄弟は「はい、全女です」ではなく、「はい、女子プロレスです」と答えたものだ。


●かつて親衛隊をやっていた頃、親衛隊や追っかけからレスラーに転進した子もいる。ドレイク森松、市来貴代子、クラッシャー前泊、バット吉永などがそうだ。


●漫才コンビ、ますだおかだの増田英彦さんは熱心なプロレスファンである。私の人生の転機となった85年8月28日の大阪城ホール、千種対ダンプの髪切りデスマッチは女子中高生で会場が埋め尽くされたが女子にまじって彼も会場にいた。千種の髪が切られるというラストに衝撃を受けた15歳の彼はリングサイドに近づいて千種の髪の毛を拾って家に持ち帰り、お守りにした。プロレス専門誌に「女子プロのことを語りたい」と文通相手を募ったところ、名古屋の女子から返事があり、実際に会って食事をしたりしたが、その彼女はその後シャーク土屋としてデビューした。


●98年11月に横浜アリーナで全女30周年記念興行があり、殿堂入りのセレモニーが企画されたとき、フジテレビが事前プロモーションで、ジャッキー佐藤さんに取材をしたいということになった。ところが、連絡が全然つかず、フジテレビでは「ジャッキーはいい加減だ」との評判がたった。私は週刊ファイトに全女OGの連載記事を担当していたこともあって、佐藤に留守電を残したところ、本人から電話があり、取材を取り付けた。本人は顔色も悪く、やせていたし、出されたジュースに「100%ですか」と確認している様から明らかに食事制限もされている様子だった。佐藤は興行に参加して、すぐに会場を後にした。彼女が胃がんで41歳の若さで亡くなったのは翌99年8月のことだ。後でわかったことだが、フジテレビからの連絡に出られなかったのは集中治療室にいたためであり、余命宣告を受けていた。私は、集中治療室を出たそのタイミングで留守電を残していたので取材できたが、紙質のよくない週刊ファイトの取材が彼女の生涯最後の取材だったことに胸が痛まないことはない。




2.ビデオ上映 

 ●ライオネス飛鳥 対 長与千種(1987.2.26) 
 ●BSNHK「日めくりタイムトラベル/1985年」より(2009.10.10)



3.ミニ対談 伊藤雅奈子氏、岡村正史
  「エスエル出版会の頃」

岡村 なぜ飛鳥のファンになったのですか。

伊藤 陰だったからです。飛鳥は自分の魅力をわかっていませんでした。千種にも共通することだが、幼少期に居場所がなかった。肥満児で体育がいやだった。テレビでジャッキー佐藤さんを見てダイエットを決意し、自信を回復しました。フジテレビの女子ソフトボールにスカウトされたが、そのチームがつぶれて、女子プロレスの方に進んだんです。

岡村 飛鳥は伊藤さんに似ている?

伊藤 デリケートなとことろはそうですね。私もいじめられっ子でした。入り口はクラッシュ・ギャルズでしたが、見ていくうちに飛鳥に惹かれていきました。アスリートとしての飛鳥の素晴らしさに。千種はクリエイターです。クラッシュ・ファンは1:4で圧倒的に千種ですが、少数派の飛鳥の親衛隊では昇格しやすいという心理もありました。ブームが終わったとき、多くは光GENJIに流れ、一部は女子プロの次世代のスターに移行しました。

岡村 親衛隊から編集者になるという身の振り方は女性の生き方として一般的といえますか?

伊藤 私は生来の負けず嫌い。誰もやっていないからやりたかった。歴史に名を残したかった。千種は「蹴っていけないのだったら蹴る」と既成概念の打破を表明したけど、その言葉に影響を受けましたね。クラッシュの親衛隊が全女につぶされて「CHIGUSA’S CLUB」に一本化されたあと、飛鳥公認の会報を手書きで作って専門誌全誌に送っていました。関西では「週刊ファイト」と「プロレス・ファン」しかなかったのですが、前者の編集長は女嫌いという評判があったので、エスエル出版会に電話してアポをとり、入社しました。「プロレス・ファン」はミニコミ雑誌のような月刊誌で、のちに「紙のプロレス」が創刊されたあとは、「西のプロレス・ファン、東の紙プロ」といわれたことはあったけど。批判的なことを書いても、ファンは引っ込み思案で、苦情の電話など一回もかかってきたことはありませんよ。井田真木子さんと神取忍の対談を実現し、GAEA JAPANの旗揚げをどこよりも早く取り上げたことが勲章です。



4.フリーディスカッション

A 飛鳥の利き腕は?ジャイアントスゥイングを時計回りに回していた。普通は反時計回りでは?

伊藤 飛鳥は時計を右腕にしていました。

B 男子プロレスと左右どちらを攻めるか逆なのではないでしょうか。

伊藤 JWPは山本小鉄さんが指導していたので、男子といっしょでしたね。男子プロレスも全団体見てましたよ。UWFは好きでした。ぶんか社では高田延彦の写真集にも携わりましたし。

C 男子と女子の違いをどれくらい意識していたんですか?松永兄弟は男子にない独特のルール、押さえ込み合戦を作ったけど、違和感はありませんでしたか?

伊藤 参考資料として客観的に男子を見ていました。会場に行くと、習性でリングサイドのカメラマンの数を数えてしまう。この会場をどう女子とからめるか、と考えてしまう。まさに千種頭です。

D ビューティ・ペアはどう評価します?

伊藤 昭和という感じ。千種はファンを調教したが、ジャッキーさんはしなかった。会社にやらされている感を全面的に出していました。

E 松永は「男子を見るな」という指示をしていましたよね。

伊藤 4兄弟は、女子以外はどうでもよかったんですよ。女子プロに流れてくる金以外に興味がなかった。80年代、丸坊主にされている千種をよそに、ダンボールに一杯となった万札を兄弟が踏んでいる光景は10代の少女が目撃するものではないと思いました。

F 親衛隊の少女がレスラーになる。そのタイプに何か共通性がありますか?

伊藤 ほとんどが千種に会いたくてレスラーになっています。例外は井上京子が飛鳥、井上貴子が立野記代に憧れていたくらいかな。

G 一度引退して復活してからの千種に会いたくてレスラーになった例はありますか?

伊藤 加藤園子がいます。彼女も追っかけでした。

H GAEAの一期生はどうですか。

伊藤 90年代は好みが分散してきますね。


@クラッシュファンの再生産はありましたか。
A団体対レスラーという枠組みについてはどう考えますか?
Bビデオで見たクラッシュ対決には、客が見たいものを見せようという意志が感じられませんが。

伊藤 @再生産はなかったです。女の子にとって、19〜20歳は人生の分岐点で、社会に戻ることや結婚を考えます。千種はJWPにはヒールとして登場したのでファンが戻ってくることはなかったけど、GAEAではいい年になったファンが子連れで、あるいは祖母となって戻ってきました。2005年4月10日は昔ながらに垂れ幕合戦も展開されました。

A時代によって変化しています。対抗戦の時代はレスラーの意見が通っていたけど、末期は会社の言いなりでした。GAEAは千種のいないGAEAはGAEAではないというのが徹底していて、杉山社長は千種がやめたときにGAEAを辞めようと考えていました。

Bたしかに、ビデオの試合は客が見たいものに応えていない感じがしました。ただ、ジミー加山と千種は一心同体で、千種をどう見せるかに力点を置いていました。千種は一商品であり、商品に意志はないんです。

J レスラーに、商品という意識が徹底しているが故の自己主張はなかったのですか。

伊藤 抜群の運動神経を持っていた北斗へのイジメは強烈でした。小倉由美の北斗へのツームストンパイルドライバーは明らかに故意でした。松永兄弟は女の喧嘩が大好物でした。

K 男子では仲が良くないといい作品は生まれない。ビデオの飛鳥はある種廃人状態。カメラが回っているからできるのだろうが、そのような状態にもかかわらず、千種と握手し抱擁まで交わしている。そんな事は可能なのですか。

伊藤 全女は仲が悪い者同士の試合を組む。仲良し同士からは何も生まれない。レスラーは図太い神経の持ち主でなければ残れません。レスラーは女優。無料では泣かない。金をとらない喧嘩はしない。

L 男のお笑いコンビも仲が悪いとよくいうが・・・

伊藤 場合によります。仲がいいコンビが多いですよ。

M 事故に見せかけて悪意をこめた打撃を与えることもあるのですか。

伊藤 初動はガチが多いですよ。堀田対伊藤とか。98年は井上貴子が井上京子を、本当に怖がっていたなあ。

N 対抗戦で男のマニアが増えたわけですよね。

伊藤 ブル中野の夢が実現したんです。彼女は本来猪木信者。「女子プロレス」ではなく「プロレス」と認知され、男子に肩を並べたと喜んでいました。

O 女子の人気が低下するとエロに走るって本当?

伊藤 というより、いつでも脱いでますね(笑)。団体対抗戦に火がついた90年代前半は、空前の写真集ブームというのもあったし。

P 対抗戦で試合内容が充実したというのは男子プロに近付いたのかな。

伊藤 身体が大きくなったんですよ。

Q 男子に近付くことが善ですか?女子独自の価値があるのでは?

伊藤 「女子のプロレス」というものがあります。豊田真奈美が象徴。長い黒髪、きれいなボディラインを誇って。松永会長の価値観は男子プロ、女子プロ、千種だったんです。千種は別格でした。対抗戦のあとで身体検査が行われて豊田の回復力の数値は尋常ではないことがわかりました。

R 
@強い女性の象徴としての女子プロ。今そういうジャンルはありますか。
A女子プロファンの心理と宝塚ファンの心理は似ていませんか。

伊藤 @ありません。女子格闘家はいるが女子プロレスラーと同じく、他の仕事を持ちながら頑張っているという存在。アイスリボンは学芸会でプロにはならない。痛いことをしたら明日学校に行けないという感じ。キレイに年をとりたいという気持が強まっています。女子プロでは食えない。スーパースターが不在ですね。

S 4年後のオリンピックで女子ラグビーが登場するが・・・

伊藤 女子サッカーにはボーイッシュな子が集まっていますね。
Aビューティ・ペアは「闘う宝塚」と言われたけど。宝塚は狭き門で年齢も限定されているし。

T ブームのときの「なりたい」は宝塚といっしょか?宝塚は今でもブームが続いていますよね。
千種だけで宝塚並みの人気があったのかな。

伊藤 志望者が3000人いた。アジャ・コングなどクラッシュ世代に憧れていた世代が存在します。競争の結果、身体の大きい者が残った。そして、男子ファンがついて過激な方向に走った。女性ファンは引きました。女子は、怖くてデカイレスラーになりたいとは思わないです。

U 宝塚的な思い入れを持てない女子プロということか。赤城マリ子やジャンボ宮本の時代は見世物だったと思うが。

伊藤 試合がどんどん過激な方向に走って、女子プロレスは観たいものであっても、なりたくないものではなくなった。85〜88年デビュー組は憧れを抱く女子を減らした責任を感じています。女子プロとは距離を置くようになった私だが里村明衣子には期待しています。彼女はトップ・アスリートです。

- Topics Board -