2017年度3月例会のご案内 2007/07/16
3月11日(土)午後2時から
徳正寺さん

「鶴見俊輔さんと現風研」

 このところ例会・総会の場では、現風研の活動を回顧するために古くからの会員さんや会にゆかりのあった方がたのお話をうかがっております。これまでに、井上俊さん、井上忠司さん、加藤秀俊さん、高橋千鶴子さん、津金澤總廣さん、橋本敏子さん、疋田正博さんら、多くの方々にお話しをうかがってまいりました。

 そのいっぽうで、桑原武夫さん、多田道太郎さん、鶴見俊輔さんほか亡くなられた方については、それぞれの回顧のなかで断片的なエピソードは出てくるものの、まとまったかたちでは語り合う機会がありませんでした。

 そこで、今回は鶴見俊輔さんがかかわられた現風研内のプロジェクト、ワークショップをとりあげ、ふりかえる機会を設けようと考えております。文章教室、「はがき報告」研究会、「鶴見俊輔集」を読む会からそれぞれメンバーだった方にお越しいただき、お話をうかがいたいと存じます。70年代の文章教室、80年代の「はがき報告」研究会、90年代以降の「鶴見俊輔集」を読む会というふうに、年代ごとの鶴見さんの活動をたどることもできそうです。

 報告・討議といった堅苦しいかたちではなく、同窓会のような感覚でお集まりください。むかし話の輪にくわわっていただければさいわいです。


話題提供者は以下のとおりです。

 文章教室  日座たえさん(旧姓水嶋さん)
「はがき報告」研究会  疋田正博さん
「鶴見俊輔集」を読む会 野口良平さん
(連絡役・永井良和)

 

 

2017年度2月例会のご案内 2016/1/5
日時:2017年2月4日(土)午後2時~
場所:徳正寺さん
発表者:斎藤光さん

新京極カフェー「ロイヤル」の興亡
 ― カフェーの定義と物語のポリティクス

 日本語文化圏でカフェージャンルが形成されたのは、1911年のことである。場所は東京の銀座。その年の春にカフェープランタンが開業、8月10日にカフェーライオンが開店した。当時東京で新聞記者をしていた松崎天民は、8月の末に『東京朝日新聞』紙上でカフェーについての探訪記事・ルポを連載し、新しい経験があるかもしれない新しいジャンル空間・カフェーについての情報を広めた。その年の末、12月12日には、カフェーパウリスタも銀座に店を開いた。こういう過程から、カフェージャンルが形成され、人々がそのジャンルを楽しみ消費する体制ができた、といえよう。

 以前、現風研で報告したように、このジャンル形成は、すぐに京都に影響を及ぼした。それまでミルクホールとして学生に人気だったらしい店がカフェーヨシダ(旧三高近くにあったらしいが正確な位置は未確定)として、お菓子と茶などの飲み物を提供していた鎰屋(寺町二条南西角…現コンビニ)がカフェーカギヤと再定義され、京都でもカフェーが認知された。その後東京でも京都でも(また大阪でも)カフェーが増殖していく。

 年代は10年ほど飛ぶが、1920年代前半に、洋ものの活動写真をかけていた京極館が、カフェー「ロイヤル」へと転換した。このカフェー「ロイヤル」は、当時の京都第一の繁華街である新京極に位置し、それなりの広さを持ち、サービス上の工夫をしたことにより、かなりの人気店であったらしい。しかし、ほぼ5年間営業していて、忽然と閉店し、今ではすぐアクセス可能な記録は皆無でアルス、記憶している人もいない。

 今回の報告では、カフェー「ロイヤル」の興味深い点や重要性をまず確認し、次にいくつかの資料からその場所と継続期間を考え、さらに、どうして忽然と消えたのかについて資料に基づき再構成する。できれば、最後に、カフェー「ロイヤル」をひとつの例として、カフェージャンルにかかわる定義や物語のあり方と、それらの消費、また、それらをめぐる社会的エイジェント間でのヘゲモニーやポリティクスを考察したい。(2016年12月)

*報告者の事情で、総会のときお伝えしたテーマ内容では準備が間に合わないため、上のものになったことをお詫び申し上げます。(斎藤光)

 

 

2016年度総会のご案内 2007/07/16
■■一般社団法人現代風俗研究会 総会開催のお知らせ■■
(社)現代風俗研究会会長 高橋千鶴子


一般社団法人現代風俗研究会の総会を以下の要領で開催します。年末のお忙しい時期だと存じますが、ぜひご出席願います。


日時 12月3日(土)
場所 京都精華大学 黎明館 L-103
(京都市左京区岩倉木野町137 電話:075-702-5100)


■主な議題(予定)
(1)平成28年度事業報告及び収支決算についての事項
(2)平成29年度事業計画及び収支予算についての事項
(3)一般社団法人現代風俗研究会役員選挙
(3)「橋本峰雄賞」発表・贈呈式
(4)その他


■プログラム
 13:30~ 受付開始
 14:00~15:00 総会・選挙 
 15:00~17:00 記念講演 奥野卓司「鳥をめぐる「花鳥風俗」」
 18:00~ 懇親会(会場は三条・四条界隈を予定)


正会員の皆様には、出欠確認のためのハガキ(兼委任状)を送らせていただきました。総会の円滑な運営のために、折り返しご郵送下さい。毎年のお願いで恐縮ですが、定足数に満たない場合は流会となり、再召集しなければなりません。ご都合がつかずにご欠席なさる方、総会開催の時間に間に合わない可能性のある方は、ご面倒ですが委任状に必要事項を記入の上、ご投函下さい。

(1)(2)の決算予算は例年通りの議題です。詳しい内容については当日会場で資料を配布いたします。なお、当日受付にて来年度の会費(一般会費:八千円・学生会費:三千円)を申し受けますので、あしからずご了承くださいませ。


*会場へのアクセス*
・JR「京都」駅→市営地下鉄→「国際会館」駅下車→3番出口を右に30m、京都精華大学スクールバス
・阪急「烏丸」駅→市営地下鉄→「国際会館」駅下車→3番出口を右に30m、京都精華大学スクールバス
・京阪「出町柳」駅→叡山電鉄「鞍馬」または「二軒茶屋」「市原」行き、「京都精華大前」駅下車すぐ



■総会記念講演

 奥野卓司さん
 
 テーマ:鳥をめぐる「花鳥風俗」


・内容の紹介

 日本人は自然、とくに鳥が好きだ、と鳥類学者だけでなく、世の中の人々はおもっている。しかし、それは誤解だ。日本人は鳥なんぞに興味はない。「花鳥風月」というが、花や月のことは語っても、ぼくの周り以外に鳥を語る人はいない。

 また、「日本の自然は四季折々で美しい」と、日本文化について書かれた多くの本はそれが前提になっている。しかし、大部分の日本人が外国に行ったことがある現在、それが怪しいのは誰もわかっているのではないか。

 それでも、鳥オタクは、トキやヤンバルクイナと同じく、絶滅危惧種として確かにいる。「鳥を観る」バードウオッチャー(日本野鳥の会など)、「鳥を撃つ」ハンター(標本自慢)、鳥を食べるのが好きな人々(焼き鳥屋の常連のおっちゃん)など、など。

 しかし、ちょっと前までは日本でも、それ以外の「飼い鳥」こそ、オタクの本流であった。が、このオタク道、お金にならないので、蜂須賀伯爵、山階芳麿殿下をはじめ、近代は皇族、それ以前は殿様の道楽とされてきた。

 ところが、実は歌舞伎、浮世絵、黄表紙にでてくるように、この趣味を、この国では町民、町衆のネットワークがささえてきたのも、事実である。「若冲の鶏」、「馬琴の金雀」、「手塚の火の鳥」、「博物会の源内」、「大坂の木村蒹葭堂」など「鳥になろうとした人」までいる。

 まずは、こうした「鳥をめぐる風俗」の一節、お付き合いいただけたら幸いです。

 

 

2016年度9月例会のご案内 2007/07/16
日時:9月17日(土)午後2時~
場所:徳正寺さん
発表者:花房観音さん


テーマ「小説の舞台としての京都」


 ちょうど六年前の九月でした。

 その日、私は朝から非常に落ち着かない状態で、ひたすら憂鬱でした。一ヶ月前に小説が第一回の団鬼六賞の候補になっているという連絡があり、発表の日だったのです。現風研の例会のある日でした。家でひとりで電話を待っているとダメだったときの落ち込みも激しいのはわかっているので、例会に足を運びました。そしてその後の懇親会の最中に、受賞の電話を受け、その場で乾杯して祝福してもらったのです。

 あれから六年が経ち、いつのまにやら二十二冊の単著を出して、ありがたいことにそこそこ忙しく過ごしてきました。デビューは官能でしたが、今ではホラーや時代小説やらも書かせてもらっています。

 私の小説の舞台は主に京都です。バスガイドをしていて、京都については少し詳しいのもありますが、京都という場所は小説の舞台にしやすいのです。ネタの宝庫で、書くことに困ったことはありません。それに、みなさん京都が好きだなというのは痛感します。雑誌の世界では「困ったときの京都特集」という言葉もあるらしいのですが、京都大好き人間はとても多い。暑くて寒くて人が多くて住んでて嫌だなと思うこともしょっちゅうありますが、私も京都が好きです。

 例会で何を話そうかと考えたのですが、自分が小説の舞台にしてきた京都という街をメインにお話ししようと思います。

 

 

2016年度7月例会のご案内 2007/07/16
日時:7月23日(土)午後2時~

場所:紫明会館 3階講堂
   京都市北区小山南大野町1番地

   京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅より徒歩7分
   発表者:鵜飼正樹さん


旅する少女歌劇団 ―日本少女歌劇座の謎を追う―


 昭和初期、大和郡山に本拠を置き、全国を巡演していた少女歌劇団がありました。名前を日本少女歌劇座といいます。大和郡山でもほとんど知る人のない謎の少女歌劇団ですが、30名の少女座員がほぼ年中無休で九州から北海道まで巡演していただけでなく、宝塚より早く台湾、朝鮮、満州で公演し、昭和30年過ぎまで活動していたことがわかってきました。古本市やオークションで手に入れた資料からチラリと見えてきた、その驚異の実態をご報告します。

 


■過去ログ

 

 

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